ドラマトゥルクの目線 vol.3
縦道と横道
という言葉は、私がアリスプロジェクトのワークショップを見ているときに、しばしば思い浮かぶ言葉です。縦道とは私にとって、意識的に何かを成し遂げたり、意図的に何かを、合理的手順に基づいて作り上げていくような時にイメージされる言葉です。ビジネススクールや、自己啓発セミナーなどで多いのがこのような方法ではないでしょうか。あなたにとって仕事とは何ですか?あなたの本当の目的は何なのですか?あなたが本当にしたいことは何なのですか?というようなことをとことん問い詰めて、ある答えを引き出し、引き出したら、その答え(目標)に向かって、具体的にどういうことをしたらいいか、徹底して考えていくという方法です。そして、具体的に明確にした目標をつねに意識し、常にそのイメージを自分の中に持ち続けて、具現化させていくという方法です。このような方法は一見とても良いように見えますが、欠点もあります。Aという目標を意図的に選択して、それの実現だけに絞ってしまったら、BからZが実現したかもしれない可能性を摘み取ってしまうことになるからです。Aを選ぶということはBを選ばないということです。ましてやCやDや、HやGやZもです。
それに対して、意図的に何かを選ばない、無限定な状態では、選び取られる結果は直前までどのようなものが選び取られるか分かりませんが、可能性はAからZまで、すべてに対して開かれています。このような状態を横道的とここでは呼ぶことにします。横道はどんな方向へも変化する可能性を秘めていますし、その方向も指示されていません。話が自から横道にそれるとき、通常は意図してそれるわけではありません。そして、そのとき思いもかけなかった話が飛び出したり、気づきを得たりすることがあります。ワークショップでは、不思議な国のアリスの各章の話を基にしながらも、横道的にその解釈と表現が広がっていっています。そもそも物語の中のアリス自身も、何かの目的や意図を持って不思議な国を旅しているわけではありません。偶然、うさぎを追っていて穴に落ちてしまって、その後、好むと好まざるとに関わらず、さまざまな出来事に巻き込まれていきつつも、時には受動的に、時には能動的に関わっていっています。
不思議な国のアリスの魅力の一つには、この横道的な面白さに共鳴する人が多いからではないかと思います。通常の冒険物語や、ファンタジーには、目的や意図があります。何処かから脱出するとか、悪い人を倒すとか、伝説の宝を探すとか。でもアリスには、確かな目的や意図がありません。不思議な国から脱出したくて奮闘しているわけでもありません。ある種なりゆきまかせです。このなりゆきまかせな感じが、読者になんとも心地よい思いを運ぶようにも思います。アリスが執筆されたのは19世紀末から20世紀初めの近代です。近代は、意図や、目的、合理性が、人々の暮らしの隅々に入り込む時代です。何のために、それをするのか?それをする意味はあるのか?それをして、結局どうなりたいのか?そんなことと常にともに生活しなければならないのが近代です。このような面が近代の表の道で縦道なら、このようなことを軽く無視して展開していくアリスの世界は、近代の裏道であり横道といえるでしょう。そしてその裏道は何処に通じるか分かりませんが、何かの用事をするために使う表の道とは違った魅力にあふれています。何の意味も無く、入っていきたくなるのが横道で、それが何処に通じるかは二の次であったりします。
“無限定で、何でもあり”。アリスプロジェクトはその横道の魅力にとことん迫っていく試みでもあると思います。
イシバシ・ゲンシ