急な坂スタジオWS アリス・プロジェクト

ドラマトゥルクの目線 vol.2

放棄・受容・前向きに弄ぶ

理解としての放棄
という言葉は、マンスリーアートカフェの数日前に仲田さんからいただいたアートカフェの進行表の中に書かれていたものです。活字で、テーマ「異世界」「放棄」と書かれた横に手書きで“リカイとしてのほうき”と書かれていました。それまでに行ってきた対話とワークショップの中で、「異世界」というキーワードはたびたび出ていましたが、その「異世界」というキーワードと同列で、「放棄」という言葉が初めて出てきたので、私はすぐに仲田さんにその理由と意味を聞きました。

そしてマンスリーアートカフェ当日に仲田さんからいただいた、その日のトークで話そうと思っている内容をまとめた紙には“理解としての放棄、受容だけでなく、前向きに弄ぶ”という言葉がありました。

今回は“放棄”、“受容”、“前向きに弄ぶ”ということが、アリス・プロジェクトにとってどのような意味を持つのかということについて書いてみたいと思います。仲田さんがこのアリス・プロジェクトを立ち上げるにあたって提出した企画書の中に、次のような文があります。この時点では、(横浜に住む)主婦を対象とした企画を想定していたため、主婦という言葉がたくさん出てきますが、それを女性と置き換えて読んでみて下さい。

「かく言う私も「主婦」です。周りにはやはり「主婦」の友人が大勢います。いろんな人がいますが、皆一様に、家庭内の様々な価値基準(それは夫を始めとする家族だったり、親戚だったり、・・・挙げていったらキリがありませんが)に振り回されたり振り回したりしながら生活しています。時には家庭の外側からも、あらゆる社会的基準が舞い込みます。その度におそらく、相互理解を理想に描き、尊重したり、譲ったり、無視したり諦めたりしていることかと想像します。本音や本心がどうあれ、とにかくどんな形でもいいから自分を納得させて前に進んでいく事、これが優先事項になっているようにも推測します。そしてその際(不足を納得へ昇華させる時)、主婦として有効活用している知恵や教養があったり、その都度、新しい術を産み出したりしている場合もきっと多い事と思われます。逆に、そのために封印してしまった才能や特技や信念もあることでしょう。そんな色々すべてを、一人一人が持ち寄って、共同でなにか一つの作品を発表する、という機会を持つことは、参加者にとって、家族にとって、地域にとって、社会にとって、明るいニュースであり、良質な運動になり得るのではないかと考えます。」

という文です。ワークショップで行われている、クセや、気になること、劇的な瞬間、鍵、あり得ない組み合わせ、等々について、語り、記述し、それを元に遊んでいくことは、自分の中で封印していたものを蘇らせ、それに気づき、認知して、更に再構成していく作業であるともいえます。そのことを意識して行うか、無意識のうちに行うかは別として。

不思議の国のアリスの中で、アリスは理不尽なできごとに翻弄されます。理不尽な展開、理不尽な応対、理不尽な規則・・・。そんな中でもアリスは、悲観的にそれに対応するというよりは、じたばたしてもしょうがないという諦め、放棄と受容の姿勢と態度で応対しているように見えます。それと同時に、前向きにその理不尽さを弄んでいっているようにも見えます。

物語の中の不思議の国でなくても、私たちが現実に生きる日々の生活の中にも、信じられないような理不尽さがゴロゴロしています。このことは、毎度のワークショップの中で語られる参加者の皆さんの話を聞いているだけでも十分に分かることですが。そして、ちょっとだけ残念なことに、社会のルール(常識)に従って、そのルールに外れないように応対する訓練を、生まれたときから受け続けた私たちは、驚くほどわずかな選択肢を用いて応対するよう習慣づけられてしまっています。

アリス・プロジェクトは、その習慣の外へとはみ出し、その選択肢の範囲を可能なかぎり広げていこうとするプロジェクトだと思います。不思議の国でアリスがしたように。放棄し、受容した上で、前向きに弄びながら。

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